子どもを持ったことのある人なら、三歳の子どもが电话に兴味を持つことをご存じだと
思う。会话がとてもおもしろい时期である。话しかければ返事をしてくれる电话に梦中に
ならないはずがない。言叶の発达と共に、うちの电话机は子どものおもちゃとなっていった。
初めのうちは、ジジババからの电话の途中で少し话をして喜んでいるだけであったが、そのうち挂かってくる电话にも出たがるようになった。(中略)
次に彼は、番号を押して自分で电话を挂けることに兴味を覚えたようである。ジジババ
の家と、うちの子と话をするのを楽しみにしてくれる叔母にかぎって挂けさせることにし
て、この二轩の电话番号を#01と#02の短缩番号にしてあげた。彼はほとんど毎日どちらかに电话をした。
「ぼくのなまえはあおきいくまです」「四さいになったらおおさわようちえんにいくん
だよ」とか、「今日ねおにくとおやさいいっぱいたべたの。あとね、えーとね……」
などなど、彼のおしゃべりにつき合っている叔母もたいへんだなと横で闻いていて思い
つつ、好きにさせておいた。
「またおでんわしてねっていってた」「ごはんをいっぱいたべてねっていってたよ」「お
ばさんはひとりですんでいてさびしいんだって。ぼくとおはなしするのがたのしみだって。
ぼくにあいたいって」
久しぶりに叔母に会う机会があった。
「いつも子どもが长々と电话してすみません」
「あーらやだ。何言ってんのよ、ちっとも电话してくんないじゃない。子どもは元気?」
彼は毎日この叔母と电话で话をしていたのではなかったか。その夜、#02に电话してみた。见知らぬ人が电话を取った。
「あなたがお父様ですか。いつもお坊ちゃまからかわいいお电话をいただいております.いつかご挨拶をと思っておりましたが、遅くなって申しわけございません。私は、××と
申すものです。いつもこの时间になるとお电话がこないかと心待ちにしております。最近はそれはもう毎日のようにお电话をくださいますので一日电话がこないと风邪でもひいたのではないか、もしや事故にでもあったんじゃないかとかやきもきしてしまうのですよ。
今まで眠れない日がおおございましたのに、电话の向こうで“バイバイ”って言ってくれた日はぐっすりと眠れるようになりました。
主人をおととしガンで亡くしがっくりきていたところに、頼みだった息子夫妇も半年前に交通事故で亡くなりましてね、孙も一绪だったんです。生きていればもうじき四歳になるはずでした。幼稚园もきまっていましたのにねえ。そんな时にお宅のお坊ちゃまから
お电话をいただきまして、初めは死んだはずの孙からかと思いました。一回だけの幸运な间违い电话のつもりでいたら何度もくるようになりまして、最初は、たどたどしかったのに今ではもう立派にお话もできるようになって……。もしご迷惑でありませんでしたら、时々はお坊ちゃまのお声をお闻かせ愿えませんでしょうか」
こんな话を闻いてしまったらいやとは言えないだろう。叔母の家の电话番号を短缩番号
に入力する时のミスだったようだ。新たに本当の叔母の番号を#03にいれた。そして彼は今でも#02に电话をしているようである。