日语综合教程第六册第二课読み物自然との触れ合い译文

私たち人间は过酷な自然の中で生き抜くためにいろいろな工夫を凝らしてきた。そのおかげで今では豊かで便利な生活を手に入れ、快适な生活を送っている。ところが、その代価として、多くの自然も失ってきている。现在の都会生活は自然の过酷さから人间の肉体を守り、一年じゅう快适な生活环境を提供してくれるが、そうした中で生きる人间は果たして心身ともに健康であるのだろうか。だれの话だったか忘れたが、动物の中で自らの意志で家畜化していったのは人间をおいてほかにないと言う。快适な生活环境になればなるほど、自然の中での人间性回复が必要になってくる。私は登山を通じて私の自然観を养ってきた。私の自然観は物の名前を覚え、动物や鸟の名前を覚え、その生态を知ることで、自然を知ろうとするものではない。そうしたことも自然を知る上においては大切なことだろうが、私は自分に备わった五感と心で登山という行为を通して自然を感じたいと思っている。自然には二つの颜がある。――厳しい自然と穏やかな自然——それらに接しながら、自然を身近に感じ、生きていきたいと愿っている。
穏やかな自然とは取りも直さず、私が初めて山に登ったときに感じたあの母亲のような优しく穏やかな自然であり、その自然に???まれることで安心する世界である。
求这几段翻译

我们人类(的祖先)想尽办法以便在残酷的自然中生存,得益于此(先人的努力)我们现在已经获得了多彩而便捷的生活。然而,作为我们获得这些(舒适生活)的代价,我们已经失去了许多。城市确实能从残酷地自然环境中保护人的肉体,年复一年给我们舒适的生活环境,但生活在这样环境中的人真的可以说是身心健康的吗?不知是谁曾说过,动物之中(不受其他强制)凭借自己意愿成为家畜的只有人类。愈是舒适的生活环境,就愈是需要人们在接触自然回归本我。我通过登山来滋润自己的内心。我的自然观并不是要记住景、物的名字,记住动物和鸟类的名字,通过知道它们的生态来认识自然;虽然这些对了解自然也能有大的帮助,我更希望用自己的五感与心灵通过登山的途径来感受自然。自然有两个的侧面——严酷的自然和柔和的自然——(我希望自己能)通过与自然接触,亲近大自然,(在自然地怀抱中)生活下去。
温和的自然,就是我第一次登山的时候感受到的,那种宛如母亲般优雅而深沉的、不加修饰的自然,与在自然怀抱中自己所感受到的那令人安心的境地。

*???まれること→包まれる,我猜的
*手打。如果不是我闲的要死我才不会翻译这么长一段,20币也太少了
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第1个回答  2014-05-09
我们人类为了在这过于苛酷的自然中活得出类拔萃,想了各种办法。多亏如此,为我们今天带来了富裕、便利、舒适的生活。但是,作为代价,也失去了很多的自然。现在的都市生活虽然保护人类的肉体免受自然的残酷(对待),一年到头提供畅快舒适的生活环境,但是这样活着的人们身心都健康吗?忘了是谁说过,动物中凭借自己的意志家畜化的除了人没有别的了。生活环境越畅快舒适,越有必要恢复自然中的人性。我通过登山,养成了我的自然观。我的自然观是记住事物的名字。记住动物和鸟的名字,了解这个生态,不能说是了解了自然,也算是在认识自然方面非常重要的事儿吧。我用五感和心灵,通过登山这一行为想感受自然。自然有两个面孔。严峻的自然和宁静的自然。一边接触这些,一边希望切身感受自然,想要活下去。宁静的自然就是我初次登山时所感受到的,那种母亲般的温柔宁静的自然。这种自然????是平静的世界。
第2个回答  2017-09-03
第六册:第01课 「まあまあ」にみる日本人の心;第02课 自然との出会い;第03课 水の东西;第04课 诗四编;第05课 东京回顾写真展;第06课 いのち;第07课 文章について;第08课 企业内の圣人;第09课 香住から白兎海岸へ;第10课 仮面の思想;第11课 らくだのシアンツ;第12课 河童の血筋第七册:01 二つの川のほとりで02 辛夷の花03 ナイン04 私の夏—1945年·広岛05 みやこ人と都会人06 自然と人间07 城の崎にて08 案内者09 手作り幻想10 徒然草第八册:01 汉字の性格02 日本の渚03 罗生门04 故郷05 エッセイ06 TUGUMI—告白—07 新しいパラダイムを求めて08 文化と理解09 古典10 汉文训読